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歴史と成り立ち

東京都練馬区の歴史について、興味はありますか?アルバイトをしたいと思っているなら、知っておいて損はありませんし、アルバイト先でのちょっとした話題になるかもしれません。そんなあなたに、練馬区の歴史と名前の由来について簡単に説明していきましょう。

名前の由来については諸説ある

そもそも「練馬」という名前の由来については諸説あり、どれが正しいかははっきりしていません。練馬区役所のホームページでも「関東ローム層の赤土を練ったところを『ねり場』といったこと」「石神井川流域の低地に『沼=根沼』が多かったこと」「奈良時代の武蔵野国にあった『乗瀦(のりぬま)』という駅」「武蔵野国の豪族・豊島氏のところに馬を馴らす『ねりうま』の名人がいたこと」という4つの説が紹介されているくらいです。文献に練馬の名前が最初に出てくるのは貞観元(1362)年の「武蔵野国願文」で、「ねりま郷」の文字が確認されています。少なくともこの時期までには「練馬」の名前が定着していたことになります。

もともとは10を超える村だった

明治以降、現在の練馬区に当たる地域が東京府に編入されるのは明治4(1871)年です。とはいえ、このときの練馬地区は1つの自治体ではありませんでした。10を超える小さな村に分かれていたのです。練馬区役所のホームページには、上練馬村、下練馬村、上石神井村、下石神井村、上土支田村、下土支田村などがあったとの記述があります。ほとんどは北豊島郡に属していました。
その後、明治22(1889)年に小榑、橋戸の両村が埼玉県新座郡から東京府に編入されます。練馬地区が東京市に編入されるのは昭和7(1932)年のことです。すでに関東大震災などによって、東京市から練馬地区への人口流入が起こっていたことに合わせて、市域を拡大したのです。従来の15区に20区を合わせて35区となりました。このときの35区の範囲が、現在の東京23区の範囲になっています。ただ、この時点では練馬区としては成立しておらず、練馬地区は板橋区の一部にすぎませんでした。昭和17(1942)年に22区に統合されたときも、板橋区の区域に変更はありませんでした。

「一番新しい区」といわれる理由

ただ、旧板橋区は現在の練馬区と板橋区を合わせた区域のため、35区の中では面積が広大でした。しかも、区役所は旧板橋区内に設置されたため、練馬地区の住民にとってはいろいろと不便なところも多かったようです。この不便さを解消するために練馬と石神井の派出所が設けられたのですが、重要な手続きは区役所に行く必要があったため、問題は完全にはなくなりませんでした。付け加えれば、板橋地区が工業化が進んでいたのに対し、練馬地区は農村地帯としての性格を色濃く残していたため、地域の統一性という意味でも難がありました。このため、昭和19(1944)年に住民によって「練馬区設置期成会」が設立され、練馬地区の分離・独立運動が始まりました。実際に分離・独立が成立するのは昭和22(1947)年、戦後になってからです。東京が23区になったのはこのときで、以後現在まで変更はありません。
このため、最後に成立した練馬区が「一番新しい区」といわれているのです。練馬区にはこういう苦難の歴史があったのです。もし、アルバイト先にその時代を知っているお年寄りがおられたら、話を聞いてみるのもいいかもしれませんね。ちょっとした「練馬区通」のような気分になれるかもしれません。

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